2020年6月岩内町内を歩いていたところ、大和公園というところで「高橋常四郎翁碑」を発見しました。

以前、作成の歴史散歩リーフを見ながら見つけた「鰊刺網大時化遭難之碑」だと思って通り過ぎそうになりましたが、よく見たら全く別な場所で別なもの。

そしてこの高橋常四郎翁碑の発見が他の話題につながりました。

大和公園にある高橋常四郎翁碑

岩内町の大和公園で「高橋常四郎翁碑」を発見しました。

これまでも通っていた道ですが、すっかり「鰊刺網大時化遭難之碑」だと思い込んで見過ごしていました。

江戸時代から残る町並みといわれるこの周辺は、どこを歩いているのかわからなくなることがあるんです。(言い訳^^;)

碑を見つけましたが、この「高橋常四郎(たかはしつねしろう」という人はいったい誰なのか?

岩内町ホームページを確認すると 1892年(明治25年)の出来事に書いてありました。

会津藩士 高橋 常四郎 ( 恒道 ) 橘町に岩内古宇両郡同修舎 ( 高橋私学校ともいう ) を起す。

岩内町公式HP(https://www.town.iwanai.hokkaido.jp/?p=9408)から引用

岩内で私学の振興に尽力した人物のようですね。

この場所に学校があったようです。

この時代に私学が望まれる土壌があったというのは、当時の岩内の町の一面を想像することができて面白い。

さらに調べていくと、以前郷土館で見たある像とかかわりのある人のようなのです。

岩内町郷土館にある高橋信夫飛行士の胸像

↓岩内町郷土館facebooページ

先日岩内町郷土館を訪れたときには、感染症拡大防止の観点から2階の見学ができなかったので、現在は郷土館に行っても見ることができないかもしれませんが、2階には高橋信夫飛行士の胸像が収蔵されています。

高橋信夫飛行士は日本の飛行士の先駆けとなったヒーロー。

その人物が岩内町の上空を飛行しています。

大正8年6月15日、旧中央小学校のグランドを飛び立ち、老古美、前田の上空まで飛行して中央小学校グランドまで戻ってきたそうです。(岩内町郷土館ブログ参照)

私は岩内移住前にこの胸像を見ていたのですが、実はこの胸像の高橋信夫飛行士は、高橋常四郎のお孫さんでした。

そういうつながりがあったとは!

高橋トマ日記発刊

↓岩内町郷土館facebookページ

こちらも岩内町郷土館facebookページからの話題です。

先日6月15日に高橋トマ日記が発刊になりました。

高橋トマ日記は高橋トマという人物が亡くなる前年の生活記録です。そしてこの高橋トマは高橋常四郎の奥様です。

まとめ

これまで見過ごしていた「高橋常四郎翁碑」を発見したことで、急に色々な話題がつながりました。

岩内町は北海道の中で繁栄の歴史を持つ町。その歴史からも話題が広がる町ですね。

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