岩内町は本格的に雪が降り出しました。

もう今から来年の雪解けを考えて準備。これまで発見した岩内町の石碑の位置をまとめてみました。

今後も訪れた先は追加予定です。

ちなみに岩内町郷土館作成の「歴史散歩」というリーフレットにも石碑がたくさん掲載されています。

岩内町郷土館は冬期に休館しますが、「歴史散歩」は「道の駅いわない」でも配布されています。

岩内町発祥の地・岩内場所運上屋本陣跡の石碑

上の写真は運上屋跡の石碑と旧岩内町役場の玄関ドームです。

一時期老朽化のため修復中となっていた「岩内場所運上屋本陣跡の石碑」も修復を終えて2021年に復活しました。

現在の岩内町の行政がここから始まったということを考えて一番最初に紹介です。

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岩内漁港修築記念碑

ニシン漁で栄えた港町を支えた岩内漁港の修築記念碑です。

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日本のアスパラガス発祥の地記念碑

日本のアスパラガス誕生や下田博士については岩内町郷土館に展示資料があります。

野生ホップ発見の地の碑

岩内町郷土館の敷地内に「野生ホップ発見の地」の碑があります。

1871年(明治4年)に岩内を訪れていたお雇外国人トーマス・アンチセルが野生ホップを発見しました。

碑の向かって右、トーマス・アンチセルの碑周辺に生い茂っているのがホップです。

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「日本国有鉄道岩内線開通当時の岩内駅」の碑

石碑ではありませんが、廃線を調べるのが好きな方が調べやすいように掲載しておきます。

岩内町では岩内馬車鉄道株式会社が設立されて馬車鉄道が開通し、その後その廃線跡が国鉄岩内線になったという歴史があります。

1985年(昭和60年)は岩内線廃線の年であり、たら丸誕生の年でもあります。

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文豪夏目漱石立籍地の碑

1892年から22年間夏目漱石の戸籍が岩内町に置かれていました。

江戸出身の夏目漱石の戸籍が岩内町にあったとは不思議ですね。

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高橋常四郎翁碑

高橋常四郎は岩内古宇両郡同修舎(高橋私学校)を起こした人物として岩内町のホームページに記載があります。

この場所に私学校がありました。

高橋常四郎の妻、高橋トマの書いた「高橋トマ日誌」が今年6月に発刊になっています。

また、大正時代に岩内初発着飛行をし、日本の飛行士の先駆けでもあった高橋信夫飛行士は高橋常四郎の孫にあたる人物でした。

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岩内東山円筒土器文化遺跡の碑

岩内東山円筒土器文化遺跡は北海道指定史跡となっています。

碑は高台のいかにも昔の人たちが生活していたであろうと思える場所にあります。

北海道指定史跡となっている場所はもう少し内陸の国道よりのようです。

出土品は岩内町郷土館で確認することができます。

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北海道婦女実務学寮跡を示す頌徳碑(しょうとくひ)

日本のアスパラガス栽培の先駆者で岩内町出身の下田博士は女子教育にも力を注いでいました。

当時北海道唯一といわれる栄養学の普及と女性の自立を目的とした学校として「北海道婦女実務学寮」が1936年(昭和11年)設立されました。
北海道婦女実務学寮は宮園のこの場所にありました。

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有島武郎文学碑

岩内町出身の画家木田金次郎は、有島武郎の小説「生まれいづる悩み」のモデルとなっています。

遠くに見えるのは弁慶の刀掛岩と呼ばれる場所。

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まとめ

岩内町で発見した石碑の情報をまとめてみました。

今後も発見し次第追記していきます。

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