岩内町のホームページには、1751年(宝暦元年)に近江商人である恵美須屋の岡田弥三右衛門が岩内古宇両場所請負人になったことをもって、1751年を「岩内の開基年」としていることが記載されています。
開基とか場所請負とかあまり聞き慣れない言葉ですがどういう意味なのでしょうか。
岩内の開基年とは?
開基とか開山という言葉は寺院で使われていますが、町について使われる場合はどういった意味なのでしょう?
インターネットの検索ですぐに出てきますので寺院については他で調べてみてください。
開基の意味から考えると、1751年岩内の開基年というのは岩内の基礎が築かれた年と言えるのではないかと思います。
岩内古宇両場所請負とは?
岩内古宇両場所というのは、当時の土地の括りを詳しくみないとわかりませんが、現在の岩内郡と古宇郡あたりのことをいっているのだと思います。
場所請負制については、以前に別な記事でも書きました。
関連記事米が生産できず、石高を計算できない北海道(当時は蝦夷地)で行われた独特の制度です。
ちょっと語弊があるかもしれませんが、簡単に言ってしまえば、場所請負人とは松前藩の家臣から交易を任された商人のことでしょう。
運上屋とは?
場所請負人が設置した交易の拠点が運上屋と呼ばれる場所です。
のちには場所請負の漁場の経営など、松前藩の出先機関や函館奉行の出先機関(本陣)的な役割も持ったようです。
詳しくはインターネット上では下のアドレスリンク先ウィキペディア「場所請負制」(2019年12月4日11:48更新)などでも紹介されています。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B4%E6%89%80%E8%AB%8B%E8%B2%A0%E5%88%B6
運上屋本陣跡の碑
岩内町郷土館で作成している「歴史散歩」というリーフレットがあります。
そのリーフレットによると上の写真は旧岩内町役場の玄関ドームだそうです。
そしてこの場所には「岩内場所運上屋本陣跡の石碑」があると書かれています。
現在石碑を見つけることはできませんが、ここに運上屋や本陣と呼ばれる建物があったようです。
⇒2021年運上屋本陣跡の碑が置かれていました。
場所請負が始まった1751年が岩内開基の年ならば、場所請負人によって運上屋が建てられたこの場所は岩内町(役場)誕生の場所と言えるのかもしれませんね。
そして「岩内場所運上屋本陣跡の石碑」はそれを示す石碑です。
まとめ
時代とともに使われなくなる言葉やものがあって現代の人にはよくわからないということがあります。
岩内の開基や場所請負、運上屋という言葉もそのひとつですね。
人は後世の人たちのために何か役に立つことをしてあげたいと思うもの。
歴史とはそんな思いを伝えていくことでもあると私は考えています。
「ありがたく思え」とは言いませんが、後世の人たちに、残した思いを何も感じてもらえないというのはちょっと寂しくないですか?
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