岩内町郷土館は4月6日(火)からオープンしていて、17日(土)から企画展「郷土館50周年記念お宝・珍品展パート7~昭和46年」が始まります。
そして4月10日(土)から後志(しりべし)の歴史観光関連施設が一斉に冬期休館を終えてオープンしました!
歴史観光を楽しみながら余市、泊をドライブしてきました。

余市町フゴッペ洞窟・旧下ヨイチ運上家・西崎山環状列石を見学

余市町内の歴史観光施設が冬期休館を終えて一斉にオープンしています。

フゴッペ洞窟

最初に訪れたのは余市町にある国指定史跡フゴッペ洞窟、館内は写真撮影禁止ですが、入口看板の羽の生えたヒトとのような絵が洞窟内に描かれています。およそ1700年前~2000年前の北海道で続縄文文化といわれる頃、本州では弥生時代と呼ばれる時期に描かれた壁画のようです。

フゴッペ洞窟
住所:〒046-0001 余市町栄町87
電話:0135-22-6170
開館時間:9:00~16:30
観覧料:大人300円、小中生100円
休館日:月曜日・祝日の翌日・冬期(12月中旬~4月上旬)

実際の洞窟に建物を建てた感じなので、建物内で本物の壁画を目の前で見ることができます。ただしガラス越しでちょっと遠いところからなので、見やすくはありません。

それにしても羽の生えたヒト型、弥生時代に描かれたものなら単なる空想の絵と考えるのは不自然な気がするんですよね。そう考えるとロマンあふれる歴史遺産です。

西崎山環状列石

フゴッペ洞窟に行ったら西崎山環状列石にも行きましょう。縄文時代後期、3500年前くらいのお墓といわれています。

この地形のこの場所になぜこのようなものをつくったのだろうか?

そうやって昔の人たちの考えを想像してみるのも楽しいです。意外と現代人と同じようなことを考えていたのかもしれないですよ。火をおこす器具や調理器具、電気がなかったら今の人たちも同じ行動をとっていたかも…。

【参考】岩内町にある東山円筒文化遺跡

岩内町内にも縄文時代の遺跡があります。岩内東山円筒文化遺跡です。この遺跡は縄文前期から中期の遺跡ということなので、今から5000年~4000年前くらいでしょうか。

今年は北海道・北東北縄文遺跡群が世界遺産登録されるかもしれません。

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旧下ヨイチ運上家

国指定史跡・重要文化財の「旧下ヨイチ運上家」です。
旧下ヨイチ運上家は1806年に柏屋藤野喜兵衛、上ヨイチ場所と下ヨイチ場所を請け負ったのが始まりだそうです。
その後1853年に竹屋林長左衛門が建て替えたものを復元したのが現在の「旧下ヨイチ運上家」です。
かつて道内に85ヶ所あった運上家も現存するのは旧下ヨイチ運上家のみ。貴重な建物ですね。

旧下ヨイチ運上家
住所:〒046-0011 余市町入舟町10
電話:0135-23-5915
開館時間:9:00~16:30
観覧料:大人300円、小中生100円
休館日:月曜日・祝日の翌日・冬期(12月中旬~4月上旬)

今では知っている人も少ないでしょうか?「遠山の金さん」の父親も下ヨイチ運上家を訪れていたようです。
1809年からイワナイ~ヨイチ間の道路開削が始まっています。

【参考】岩内町にある岩内場所運上屋本陣跡の碑

上の写真は旧岩内町役場玄関ドームです。この場所は万台ドーム公園とも呼ばれているようですね。

かつてこの周辺には運上屋(家)があり、「岩内場所岩内運上屋本陣跡の碑」という石碑が設置されていました。(現在は修復中のため設置されていません)

岩内町のホームページでは、1751年(宝暦元年)に近江商人である恵美須屋の岡田弥三右衛門が岩内古宇両場所請負人になったことをもって、1751年を「岩内の開基年」としたと記されています。
南から北へ和人が定住しているので当然といえば当然ですが、岩内は北海道で古い歴史を持つということがこの点からもわかります。

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泊村鰊御殿とまりのみどころ

泊村の「鰊御殿とまり」も4月10日(土)からオープンしています。

鰊御殿とまりの営業情報
住所:
〒045-0203 北海道古宇郡泊村59-1
開館時間:
9:30~16:30(入館は16:00まで)
休館日:
毎週月曜日(月曜日が祝日のときはその翌日。7・8・9月は休まずに開館)
11月下旬~4月中旬
観覧料:
大人(高校生以上)300円
子供(小中学生)100円

↑お守りを頂きました。コロナ禍で思うような企画ができずご苦労が多いことと思いますが、館長さんは色々なアイデアで盛り上げていて鰊御殿とまりも魅力的な施設です。
鰊御殿とまりのみどころは川村家番屋だでけはなくて、併設されている武井邸の客殿もです。
北海道に現存する鰊御殿の中で客殿を併設しているのはここのみだそうです。

旧下ヨイチ運上家を見た後だと鰊御殿の豪華さをさらに感じることができました。

川村番屋の柱と梁は迫力ありますね。

この景色を明治時代の人たちも見ていたのでしょう。鮮やかな岩内岳をみることができた日でした。

【参考】岩内町には鰊御殿がありませんでした

泊と同じく鰊漁で栄えたまちだったのに岩内には鰊御殿がなかったそうです。なぜでしょう?

答えは岩内が発展していたから!?

その考察を以前下の記事で書きました。

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↓鰊御殿とまりから岩内まで国道229号から見ることができる景色

まとめ

北海道のドライブシーズンが始まります。
岩内町に移住したばかりだと地域のことがよくわからないと思いますが、歴史観光施設がオープンしてドライブを楽しみながら地域のことを学べますよ。
移動の自粛が求められる地域もありますが、後志だけでも相当な歴史と楽しみ方がある地域です。