岩内町に移住してから、北海道の方言をよく聞くようになりました。
その中でもよく聞くのが、「わや」という方言。
北海道の方言を調べてみると、北海道以外の他の地域で使われているものも多い。
これはやっぱり、北海道の歴史と関係あるのでしょうね。

「わや」という方言の意味とつかう地域

方言イメージ

「わや」という方言は、「めちゃくちゃ」というような意味だそうです。
私が北海道に移住したのが2005年ですが、岩内町に住むまで「わや」という方言は、ほぼ聞いた記憶がありません。

岩内独特の方言ということはないようですが、北海道に住んで17年間、岩内以外で聞く機会はほとんどありませんでした。

これまで私が勤めた会社に、北海道出身の人が少なかったということもあるかもしれないと思い、試しに札幌出身の50代の人に聞いてみました。

その回答は、「学生時代は使っていたけど、社会人になってからは使ってない。今の学生は使ってないかも」というものでした。

ちなみに、岩内出身の10代の人に聞いたところ、「よく使う」とのことでした。

札幌出身と岩内出身のどちらも、1人にしか聞いていないので、はっきりしたことは言えません。
でも最近は、どこの地域でも方言を話す人が少なくなってきていると思うので、北海道もそうなのかもしれません。
そして、都市部の方がより使わなくなっているのかもしれません。

ところで、この「わや」という方言を調べてみると、北海道だけの方言ではないようです。
本州でつかわれる方言がなぜ北海道でも広まっているのか?
不思議に思う人も不思議と感じない人もいると思いますが・・・。

本州と北海道の関係性から方言のつながりを考える

共和町前田の景色

かつて、蝦夷地と呼ばれていた北海道が、「北海道」と命名されたのは、明治2年「1869年」です。
日本の歴史を考えると最近なんですよね。
それまでの江戸幕府が終わり、明治政府が日本を動かしていくようになってから、和人による北海道開拓が急速に進んだと言っていいでしょう。
その影響で、明治時代に北海道に移住する人がいました。

たとえば、来年2023年に北海道日本ハムファイターズの新球場「ES CON FIELD HOKKAIDO」が完成することで話題の「北広島市」は、明治時代に「広島県」の人たちが移住して来たことが命名の由来とされています。

北海道の伊達市が、東北の亘理伊達家の人たちが移り住んだことが命名の由来というのも有名な話ですね。

ちなみ、岩内町のお隣の共和町にある「前田」という地名は、加賀の前田家が開拓したのが由来。札幌市手稲区前田も同様です。

北海道には、明治時代に本州から移り住んだ方々が多く、その方々の子孫がたくさんいるのです。
本州で使われていた方言を使う人が北海道に多いというのはあり得ることですね。

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岩内町と本州のつながりと方言

岩内町の景色

岩内町と本州との関係をみてみましょう。
岩内町ホームページによると場所請負人が来た1751年を岩内の開基年としています。

1751 近江の商人恵美須屋(岡田)弥三右衛門、岩内古宇両場所請負(岩内の開基年)

岩内町公式ホームページ

「北海道」命名の100年以上前のことになります。
この当時既に本州から来た人がこの土地にいたことがわかります。「岩内」の呼び方はこの頃からあったんですね。
ちなみに、北海道道南には、松前藩が江戸時代からありました。

さらに

1835~1837 内地凶作のため移住者激増。

岩内町公式ホームページ

江戸四大飢饉の1つ、天保の大飢饉によって移住者が激増したとも書かれています。
本州から多くの人が岩内に住む状況があったようです。

さらに別な要因として、日本遺産「北前船」の存在もあります。
北前船は商売しながら関西と北海道とを結んだ商船です。
そして、この北前船の寄港地の1つに岩内がありました。
北前船は、各地の産物や文化を寄港地に伝えたことでも知られています。
方言が伝わったとしても不思議ではありません。

まとめ

岩内に移住して「わや」という方言をよく聞くようになったことから、岩内町(北海道)の方言とその広がりについて、北海道と岩内町の歴史から考えてみました。
岩内町には独自の歴史があるので、北海道という大きな括りとは少し違った可能性も見えてきます。

ここでちょっと気をつけなければいけないのは、これまでの話しは全て、明治の頃から方言が存在していたというのが前提です。
昭和時代にできた言葉だとしたら、今回考えたような広がり方ではないでしょう。
でも恐らくそれはないだろうなと思って書いてみました。