岩内町マニアックブログという評判もあるので、久しぶりにマニアックな話題をひとつ。
クラーク博士のあの言葉でも有名で、明治から昭和にかけて、北海道開拓の歴史の中で重要な役割を担った「駅逓所」が岩内にもありました。
所在地は万代の運上屋(本陣)と雷電の朝日温泉の場所です。

駅逓所の役割を担った万代の運上屋

岩内町の万代に、岩内場所運上屋本陣跡の碑があります。(上の写真)
この周辺は、北海道独自の制度である場所請負制の運上屋があった場所だと言われています。
この場所と岩内の場所請負制については以前に別な記事↓で書きました。

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ちなみに碑の後ろにある建物は、旧岩内町役場の玄関です。明治36年に建築されたものを昭和34年にこの場所に移築したようですね(運上屋記念ドーム)。 岩内町ホームージより https://www.town.iwanai.hokkaido.jp/?p=7200

運上屋(後の本陣)は、駅逓所としての役割も担っていたようです。

雷電駅逓所は朝日温泉の場所にありました

もう一箇所の駅逓所は雷電の朝日温泉にありました。
ただし、このあたりは昭和30年に島野村と岩内町が合併したことにより岩内町となっているので、駅逓所があった当時は、敷島内村や島野村(島野村は明治42年に敷島内村と野束村が合併して誕生)です。

駅逓所は、宿泊や運送、郵便などの役割を担い、交通の要衝に設置されていたはずなので、この場所は函館から岩内方面に行くための重要な土地であったことがわかります。
昔はこんなに険しい場所を通らなければいけなかったんですね。

少年よ大志を抱けの舞台も駅逓所

もしかすると、駅逓所なんて知らないなと思われた方もいるかもしれませんが、本州でいうところの宿場と同じように、かつては北海道の交通の要衝となる土地にいくつも存在しました。

札幌農学校(現:北海道大学)の初代教頭クラーク博士が残していった有名な言葉に「少年よ大志を抱け」というものがあります。
この言葉、札幌農学校で言った言葉でありませんよ?
札幌で言った言葉でもない。もちろん羊ヶ丘展望台でもありません(笑)
現在の北広島市旧島松駅逓所がある場所で発っした言葉です。
クラーク博士を見送るために学生たちが札幌からここまで来ていたのです。
駅逓所は交通の要衝なので、別れが惜しく、ひとつの区切りとしてここまで見送りにきていたのでしょう。

島松駅逓所については以前詳しく別ブログで書いたことがあります。

↓参考:別ブログ

赤井川の道の駅でも下のような碑を見つけました。

この場所も駅逓所でした。
今でも倶知安からの道路が交差する土地ですよね。

まとめ

岩内町には駅逓所が2箇所ありました。
かつての交通の要衝に設置された駅逓所は、昔の人と物の移動の流れを知ることにもつながります。
現在でも交通の要衝として残る場所もあれば、そうでない場所もあります。
雷電駅逓所のあった場所は、海岸沿いに国道とトンネルが整備されたことによって、交通の要衝としての役目を終えたのですね。