岩内町は北海道の女性たちが憧れる人気の町になっていたかもしれません。

岩内町郷土館で現在開催中の企画展「岩内の小学校100年の歴史」を見て勝手ですがそう感じました。

岩内は女子教育を重視していた?

岩内では女子教育が進んでいたと感じるエピソードがいくつか展示されていますよ。

エピソード1 岩内尋常小学校と岩内女子尋常小学校の校舎を交換

岩内には明治時代に岩内尋常小学校と岩内女子尋常小学校がありました。
当時、現在の中央通り周辺がその名の通り一番栄えていたそうですよ。

岩内女子尋常小学校は当時の岩内中心地中央通り周辺から遠い方に建てられていましたが、女子を遠くに通学させるのはかわいそうだという意見が出たことで後に男子と校舎を交換したそうです。

エピソード2 岩内町立女子職業学校設立

岩内町には1919年(大正8年)に岩内町立女子職業学校が設立されました。(後、岩内町立実科高等女学校→岩内町立岩内高等女学校→北海道庁立岩内高等女学校→北海道立岩内女子高等学校、昭和24年北海道立岩内高等学校と統合)

この学校が現在の岩内高校の前身です。
学校の講堂では海外で演奏するような日本を代表する演奏家の人たちのコンサートが行われていたそうです。

岩内協会病院がある交差点付近には日本のアスパラガス発祥の地記念碑の隣に北海道庁立岩内高等女学校跡地の記念碑が残されています。

エピソード3 北海道婦女実務学寮岩内学舎設立

アスパラガス栽培で有名な下田喜久三博士は女子教育にも取り組んでいます。

1936年(昭和11年)北海道婦女実務学寮岩内学舎を設立。

栄養学の普及と女性の自立を目指したこのような学校は北海道唯一で、全道から女学生が集まっていたそうです。(岩内学舎としているのは同時期にせたな学舎もつくられていたからです)
当時の時代背景を考えると先進的な考えを持った方々が集まったのではないでしょうか。
そして栄養学と教養を身に付けた卒業生は男性からも人気で、この学校は「花嫁学校」とも呼ばれていたそうですよ。
現代的な感覚にはちょっと合わないかもしれませんが、色々できる人が人気があるというのは現代にも通じることでしょう。

北海道婦女実務寮岩内学舎は当時北海道の女学生憧れの学校だったのかもしれません。今となってはもうわかりませんが、もしかしたらテレビドラマをつくれるようなストーリーがたくさんあったのではないでしょうか。

まとめ

岩内の歴史を振り返ると女子教育の先進地と言えるような歴史がありました。
少なくとも岩内には北海道中から女性が集まるような学校があったのです。

女子教育に熱心で栄養学と教養を身に付けた女学生の集まる町。

これまで考えていた岩内町のイメージとは別な一面が見えてきます。
いつも思うことですが、岩内町がこのような様々な歴史をもちながら今途絶えてしまっているように見えるのがとても不思議。
この町にはドラマの1本くらい簡単に作れてしまうような数々の物語があったかもしれません。

ひょっとしたらこの町は現在でも様々な地域の多種多様な考え方を持つ女性が集まって活動する、活気あふれる北海道有数の町になっていたかもしれませんよ。
歴史のifですが。

そういえば、岩内町出身でこの人は何でもできるんだなぁと感じる女性を知っています。岩内の歴史を振り返るとき、もしかすると岩内町の歴史の一端がそういう人材を育んできたのかもしれないと思えてきました。

岩内町郷土館
2021年第2回企画展「岩内の小学校100年の歴史」開催期間6月26日(土)~8月29日(日)

住所:岩内郡岩内町字清住5-3
開館時間:午前9時~午後5時 休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日) 冬期間11月28日~翌年3月31日頃までは休館。
2021年は4月6日(火)オープン
観覧料:
一般(岩内町住民) 100円
一般(上記以外) 300円
学生および生徒 高校生・小中学生無料
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