島野あっての岩内、岩内あっての島野…

岩内町郷土館で企画展が始まっています。

私のように最近の移住者は知らないかもしれませんが、島野村は現在の敷島内と野束の地域にあった村。

大火の翌年、今から65年前に島野村は岩内町と合併して新生岩内町が誕生しています。

北海道の和人の歴史を考えると南から北へと行動範囲を広げているので、始めに島野村、次に現在の岩内町市街地へと、人の移動が起きていたのかもしれませんね。

今回の企画展では当時の島野村の活気が写真を通して伝わってきます。

漁業と農業が混在した島野村

http://iwanaikyoudokan.sblo.jp/archives/202008-1.html

↑リンク先の郷土館ブログには、漁業で栄えた島野村のことが書かれています。

以前、岩内町に鰊御殿がない理由という記事を書きましたが、実は島野村には鰊御殿がありました。

今回の企画展の中では島野村の鰊御殿についても触れられています。

関連記事

↓岩内町郷土館Facebookページから

国道229号の通る敷島内地区の海岸線をドライブしているだけだと気付きませんが、少し内陸側に入ると、そこには水田が広がっています。

なぜこの場所に水田が広がっているのか?

この水田は、岩内町郷土館のFacebookページで説明があるように、島野村だった時代に開発されたものだったんです。

食糧増産と漁業者の生活安定のためだったんですね。

なるほど!歴史を知ると理由がわかって面白い。

文頭に書いた通り、島野あっての岩内、岩内あっての島野というフレーズがしっくりくる企画展になっています。

現在の島野地区に残る過去の面影・岩内町敷島内の写真から

島野神社跡

今回の企画展のテーマとなっている島野神社の祭神は、岩内神社に合祀されました。

かつて島野神社があった場所に今は島野神社跡の碑がありました。

島野小学校跡

明治11年に開校し、昭和52年に閉校となった島野小学校の体育館は島野会館としてしばらく利用されていたようです。

現在も建物が残っていますが、周辺にあると聞いていた、「閉校記念碑」を含めた3つの石碑を確認することはできませんでした。

敷島内漁港

4月ころに撮影したものですが、鳴神トンネル横にある敷島内漁港です。

北海道における水力発電所発祥の地

岩内町は、北海道で初めて水力発電所が建設された場所。その場所は敷島内でした。

現在水力発電所はありませんが、発祥の地の跡は残されています。

昨日訪れた際には、大きなアブか蜂かに追いかけられたので、もし行くときにはご注意ください。

また、敷地周辺は民地で作業場になっているので、国道沿いを避けて邪魔にならない場所に駐車して入るようにしてください。

まとめ

人が生まれつきの性格だけではなくて、生活環境や教育によって「らしさ」が育まれるのと同じように、町も地形だけではなくて歴史や文化によって「らしさ」をそなえることで特徴ある町になると思います。

そう考えると、歴史を知らずに町を語るのはナンセンスなのでは?とさえ思えてしまいます。

こういう機会に自分の住む町の歴史を知るのもいいのではないでしょうか?

関連記事