鎌倉殿の13人というテレビ番組が始まりました。
実はテレビ番組に関してはよく調べていませんが(笑)、鎌倉殿というからには鎌倉幕府の話でしょう。そして13人ということは御家人に焦点が当たっているのか?ちなみに主人公は北条義時ですよね。
ところで、鎌倉幕府といえば源頼朝の弟の源義経は欠かせない登場人物です。日本人によくある心理、「判官贔屓(ほうがんびいき・はんがんびいき)」という言葉は義経への同情が始まりとされています。
義経は岩手県の平泉(衣川館)で最期を迎えたというのが通説ですが北海道には義経伝説が残っているんですよね。
岩内町内に残る義経伝説・弁慶の刀掛岩と弁慶の薪積岩
このブログの中でもよく書いていますが、岩内町には「弁慶」と名の付く場所があります。
弁慶というのは「武蔵坊弁慶」のことで源義経に付き従っていた従者です。
義経と弁慶は、岩手県の衣川館で死んだとされるのが通説ですが、実は生きていて海を渡って北海道まで来ていたという伝説があるのです。
岩内にも来ていたと…。
その伝説を裏付けるかのように北海道各地に義経にまつわる場所があります。
岩内の観光スポットとしては、弁慶の刀掛岩(かたながけいわ)と弁慶の薪積岩(まきづみいわ)があるんです。
刀掛岩には、弁慶が休息するときに岩をひねったとか、釣りをするときに大刀を掛けたというような伝説があります。
薪積岩は、弁慶が暖をとるために積んだ薪が化石化したと伝えられています。
どちらも大きさが不自然でしょ!とツッコミを入れる方もいますが、北海道なのに弁慶の名が残っているということ自体が不思議でしょ?ということがポイントです。
このほかに、義経を慕っていたアイヌの娘メヌカが、「来年またくる」(これがのちに雷電という地名になったという説も)といったまま戻らなかった義経を思い、身投げしたという伝説があります。その場所「メヌカ岩」というのもどこかにあるらしいのですが、私は今まで神威岬の方だと思っていました。
弁慶の刀掛岩近くにある不落の洞窟の辺りという情報も出ているので正確な情報はわかりません。今度出典を読んでみます。
寿都町の弁慶岬
寿都町には弁慶岬という場所があります。
↑伝説もしっかりと残されています。
作り話というには各地のつながりがありすぎると感じるような、様々な伝説が残されているんですよね。
神恵内村郷土資料館展示品
平泉で使われていたものと似た兜と刀が神恵内村で発見されています。
義経一行がかつて北海道に渡ってきた証拠ではないか??ということですね。
乙部町桂の古木と静御前最後の地
岩内からそれほど近いとは言えませんが、南の乙部町でも義経伝説についての記録を発見しました。
ここには2つのことが記されていました。
1つは桂の古木というもの。
もう1つは
↑この静御前最期の地
静御前が乙部町に来ていたって…これを見たときは大声上げて驚きましたよ(^^;
本州出身の人間からしたら全く考えたことがない話(すみません)。
寿都町にある源義経家臣佐藤継信ゆかりの場所
国道229号沿いにあるこの建物、岩内町に住んでいる人なら見覚えのある方もいると思います。
ここは歌棄と磯谷の場所請負人佐藤家の漁場建築で北海道有形文化財に指定されています。
義経伝説とは直接関係ないですが、この佐藤家というのが義経四天王のひとりとして知られる佐藤継信の末裔だそうです。
義経に詳しい人などその道では結構有名な人物なので佐藤継信・忠信兄弟のファンという方もいるのでは?
寿都観光物産協会のサイトにこの建物について詳しく記載がありました。
北海道にはこんな義経ゆかりの地もあるんですね。
まとめ
私が岩内町近場で知っている義経伝説と関係する場所を取り上げてみました。
各地の伝説につながりがありそうですし、岩内町のメヌカの話はかなり具体的。
このほかに平取町二風谷にも、結構具体的な伝説が残っているんですよね。義経神社もありますし。
出典を読めばもっと詳しくなれると思うのですが、私はまだそこまでできていません。