昨年行こうと思った時にはすでに冬季休館となっていた泊村の鰊御殿とまり。
先日ようやく見学することできました。
その時、館長さんからこんな質問を投げかけられました、「岩内町に鰊御殿がないのはなぜか知っていますか?」
え?
もしかして大火で燃えてしまった?
そんなことが頭によぎりましたが、どうもそうではないようです。
後日岩内町郷土館で少し調べてきました。
岩内町が栄えていたということが鰊御殿がない理由と言えるかもしれません。
岩内町に鰊御殿がない理由
結論から書きます。
郷土館で教えて頂いてわかった「岩内町に鰊御殿がない理由」は次の3つが主なものではないかと思いました。
- 岩内町には多くの漁師がいたので、自宅から通っていた。
- 岩内町には宿泊施設が多かった。
- 岩内町には土地スペースがなかった。
漁の時期だけ泊に出稼ぎで来ていた漁夫がたくさんいたようです。
鰊番屋は漁の時期に多くの漁夫が拠点として生活をした場所。
厳密には違うようですが、豪華な鰊番屋を鰊御殿と呼ぶとするならば、多くの漁夫が地方から訪れる泊には鰊御殿(鰊番屋)が必要だったのです。
しかし、岩内町は違いました。
岩内町にはそもそもたくさんの漁師が生活していたので、漁の時期には自宅から通って鰊漁に出かけたのです。
さらに、地方から漁師が来たとしても鰊御殿は必要ありません。
それは、岩内町には宿泊施設があったからです。
岩内町郷土館で資料を見せていただいたのですが、今のドーム公園近くにあった旅館の方が書いた文書の中に、鰊漁の時期に漁夫が宿泊していたことが書かれています。
その他に考えられる理由としては、岩内町には空いている土地がなかったというのもひとつかもしれません。
郷土館にある昔の地図を見ながら解説をして頂きました。
新たに建物を建てる土地はなさそうなほど建物ギッシリの街並み。
人口密度日本一と言われた時期もある岩内町、建物のスペースもないんです。
旅館がある岩内町は、あえて無理をして鰊御殿を建てる理由がなかったのではないでしょうか。
泊村の「鰊御殿とまり」は当時の北海道の雰囲気を感じられる魅力的な空間
話は変わって、「鰊御殿とまり」の話題です。
以前に東山遺跡の記事にも書きましたが、
「昔の人はどんな景色を見ていたのだろう?昔の人は未来に何を伝えたかったのだろう?今見てるのは昔の人と同じ景色かな?」と想像しながら歴史的な場所を見て回るのが個人的に大好きです。
「鰊御殿とまり」はそんな私の興味を大満足させてくれる場所でした。
それにしても、中に入ってすぐに感じる当時の番屋建築の技術力。
そして、客殿の豪華さ。
当時の繁栄を物語っていますね。(モノに溢れる現代とは別な時代にできたものですよ!)
「鰊御殿とまり」は現在の駐車場位置にあった番屋を移築した「旧川村家番屋」と元々この場所にあった「旧武井邸客殿」で構成されています。
旧武井邸の母屋は小樽に移築されているようです。
鰊御殿とまりの営業・アクセス情報
9:30~16:30(入館は16:00まで)
休館日
毎週月曜日(月曜日が祝日のときはその翌日。7・8・9月は休まずに開館)
11月下旬~4月中旬
観覧料
大人(高校生以上)300円
子供(小中学生)100円
岩内町からは車で約20分。
バスで行くなら岩内バスターミナルから神恵内線「法輪寺」下車です。
まとめ
岩内町に鰊御殿がなかった理由。
調べてみるとそれは岩内町が繁栄していたことに原因あるではないかということがわかってきました。
「繁栄していたならあるはず」と思うのですが、逆なんですね。これも岩内らしくて面白い。
岩内町のお隣、泊村には「鰊御殿とまり」があります。
この施設に行けば当時の繁栄の様子がよくわかります。
楽しめる人には1時間ではとても足りない魅力的な場所なので、覚悟して行ってみてください(笑)
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